お題スロット、思い出の味。
「思い出の味」と言う言葉から、まず想像を巡らせるのは子供の頃のお母さんの料理の味。普通の発想だと思うのですが、私にはこれと言った母の味が思い出せません。
…なんて育てがいのない娘でしょうか。
母親が料理をしなかったわけではなく、当時の私が母の料理と言うものにさして興味を持っていなかったからだと思います。嫌いな食べ物が多く、食べるのも遅かったです。
マザコンの妹は実家に行った時には母の餃子が美味しかったとか、母の得意料理を色々と話していました。
しかし、大人になった私は辛いもの以外何でも美味しい食道楽。
「思い出の味」という言葉に、今まで旅行で行ったあちこちの料理が思い浮かびました。
私たち夫婦は海外に行った事がありません。バイクで行く国内旅行です。東京に住んでいますが、北海道、東北、甲信越、石川~京都、中部地方は行きました。それより西はこれからですね。
結婚前のトーチャンと初めて行ったバイク旅。名古屋で失敗した、居酒屋の味。名古屋名物が全くなかったんです…私たちはお酒も飲まないし、観光旅行は下調べをしなければならないと学んだところでもあります。
台風が来ていた佐渡島の回転寿司で食べた甘海老のお寿司。あんなに甘い甘海老はあれっきり出会っていません。
仙台の牛タンと、仙台の天下一品にしかない土鍋チーズラーメン。夏だったので食べたくないと思いながら食べたアツアツのラーメン。食べて良かった。
京都の馬鹿高いすき焼きは当たり前のように美味しかった。
新婚旅行は北海道。フェリーを待つ青森ののっけ丼に、北海道は何を食べてもおいしかったですが、今一番渇望しているのはラッキーピエロのハンバーガーです。
そんな今までの旅行で最も記憶に残っている美味しかったものと言えば能登で食べた「牡蠣のバターソテー」。能登丼スタンプラリーというものがやっていて、奥能登の方で見つけたレストラン浜中というお店で食べました。
自分で撮った写真は古いPCに入っているので、お店のHPの画像を拝借。
元々牡蠣が好きでしたが、大きいぶりぶりの牡蠣を、ステーキのようにナイフで切りながら食べるのは今までにない美味しさでした。
普通にスーパーで売っている小ぶりの牡蠣をバターで炒めても再現できないのです。能登は、いるだけでもとても良い所でした。積極的に地元の人と触れ合うタイプでは無いのですが、お寿司屋さんの大将や、道の駅の食堂のおばちゃんや、旅行中に自然と触れ合う人たちの感じもすごく良かったんです。
まだ行ったことのない西日本にも行きたいのですが、子ども達を連れてもう一度能登に行きたいですね。
もう一つの思い出の味。
小学生時代を長野県の山奥で過ごした私は、引っ越して一番家が近所だった同級生に教えてもらった道端のおやつ、スイコの酸っぱい水分と赤詰草の蜜の味が思い出の味と言えましょう。
東京でもたまーに野生しているのを見かけるのですが、さすがに飼い犬たちの生活圏にあるものを口に入れる気にはなりません。
つくしは意外とおいしいんですよね、フキノトウは苦いので嫌いでした。
はじめは苦手だったイナゴの佃煮にハマって、田んぼで袋いっぱいに捕まえて帰ったりして。
父の実家である田舎の家はいずれ私が相続する権利者ではありますが、もう同級生も全員都会に出て行ったし、田んぼの大半は休耕しているし、村は小さくなり山がすぐ近くまで迫って来ています。人がいなくなると自然に呑み込まれてしまうんですね。
私は元々、東京にいた人間なので感覚がずれているんですが、同級生たちに同窓会をやろうと言ったら、「みんなこっちにいるから東京でやろう」と言われました。地元で集まって思い出話に花を咲かせる…そういうものかと思っていたんですけど。
毎年田舎に帰る度に、着々と思い出の場所ではなくなっていく地方の現状を目の当たりにさせられます。